古里に息づく思い
岡崎 冨田勲さん没後10年
岡崎市舞木町に昨年11月に開業した「三井アウトレットパーク岡崎」。オープンから2カ月が経過した今も、多くの市民らでにぎわっている。当初は「できっこない」とも言われていた誘致計画。実現の経緯を探ってみると、背景には地元・本宿ゆかりの世界的音楽家がつないだ“縁”があった。 (犬塚誠)
その音楽家とは、作曲家でシンセサイザー演奏の先駆者としても知られる冨田勲(1932=昭和7~2016=平成28=年)さん。生まれは東京だが、7歳~高校1年の少年期を父親の実家がある本宿で過ごした。
2013年夏。全ては1本の電話から始まった。かけたのは勲さんのおいで、冨田病院(同市本宿町)の冨田裕院長(58)。アウトレット構想の始動を受け、地元代表として三井不動産株式会社と連絡を取ることになった。
担当部署も分からない中での接触。代表電話にダイヤルを回すと、総務課から用地取得担当へと転送された。「地元の本宿を活性化したい。ぜひ、商業施設を誘致したい」。熱意を伝え、担当者との面会を取り付けた。
面会は東京都内の喫茶店で行われた。「冨田です」「冨田さんの『冨』には点がないんですね」「そうです、伯父も音楽家をしていますが、彼も点がない『冨田』です」。その瞬間、担当者の顔色が突如として青ざめた。
「えっ! その音楽家の方は冨田勲さんですか」「よくご存じで」「実は、私は勲さんのお孫さんと無二の親友でして」。当初「検討は難しい」と考えていた担当者。運命的な出会いがその気持ちを変え、計画が動き出した。
担当者は後年、同院の記念誌に寄せた文章でこの時の面会を振り返り、「お断りに来たはずだった喫茶店を出る頃には、私は『これは運命。絶対に本宿に商業施設をつくる』ことを決意したのでした」と記している。
以降、三井不動産は本格的に本宿へのアウトレット進出に向けた準備に着手。昨年11月4日、ついに市民待望のアウトレットが開業した。あの電話から約12年。田園地帯はにぎやかな施設へと生まれ変わった。
冨田院長は「私が三井不動産の代表電話にかけた電話を、勲の孫の親友が取るというのは不思議な話。勲には地元への貢献という面で負い目があったかもしれないが、間接的に協力してくれた」と語る。
2026年は勲さんの没後10年に当たる。本人がアウトレットの開業を見ることはかなわなかったが、施設内の共用通路「サウンドストリート」には彼の生涯や残した作品を紹介するコーナーが設けられている。
流れているのは、合唱曲「青い地球は誰のもの」や、勲さんが作曲した地元小中学校の校歌など。上京後も地元への思いを持ち続けていたという勲さん。その心は今も、温かな旋律と共に古里に息づいている。
